ガイド名 | miho さん |
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ツアー時間 | 90分 |
カテゴリー | 韓国 > 世界文化遺産 |
詳細内容 | 朝鮮王朝の王陵群は、朝鮮王朝519年間にわたる王と王妃の墓が完璧に保存されている遺跡で、500年以上続いた王朝の王陵が、現代までも損なわれずに保存されてきたのは、世界的にも朝鮮王陵が唯一です。 朝鮮王朝の王と王妃、追尊された王と王妃の墓は合わせて42基あり、このうち北朝鮮にある2基を除いた40基が世界遺産に指定されています。 王陵は儒教と風水にもとづいて作られました。 理想的な地を選択したうえで、儒教の礼法に従って陵域の空間を構成しました。 また王が一日で往来できる距離を基準にしており、ほとんどの王陵が首都の漢陽(いまのソウル)郊外に位置しています。 金浦章陵は、第16第の仁祖王のお父様のお墓です。仁祖王は光海君の次にクーデターによって立てられた王様だったので、そのお父様は王ではありませんでした。 ご両親のお墓は、「陵」より二つ格が低い「墓」でしたが、仁祖王の尽力により長い時間をかけて承認を得て王陵に追尊されました。 また、そういう意味があってか自分のお父様のお墓を王陵に格上げしたかった正祖王(イサン)がここに立ち寄って参拝して、遠回りをして、仁川を回って水原華城に行ったという記録があります。 仁川の官衛(当時の大きな官庁)を回り、その地域の官僚と市民を激励して回ったと言います。 なぜここを通ったのかというストーリーと、王陵の作り方や風水地理、全国の王陵の特徴などについても王陵歴史館で説明させていただきます。 |
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先史時代に生まれて3千年間黙々と佇んできた支石墓は、早くから輝かしい文化を生み出した先人の才能と抜きんでた建築術、精神世界と強調心がうかがえる貴重な文化遺産です。世界の有名なドルメン(支石墓)にはイギリスのストーンヘンジ、フランスのカルナック、チリのモアイなどがありますが、世界の約40%の支石墓が韓… 続きを見る »
全羅北道益山市王宮面に位置する王宮里遺跡は、百済末期の益山において政治、経済、文化の中心地であった王宮であり、扶余の泗沘とともに複都とされています。百済王宮は龍華山から連なる尾根の端にある低い丘陵の上に造成されました。1989年から行われた全面的な発掘調査により確認された内容によると、百済末期に王宮… 続きを見る »
ソドンヨで有名な百済の第30代王・武王が創建した百済最大の寺院。後期百済の仏教文化を花咲かせた益山市の彌勒寺址は、東西260メートル、南北640メールの百済最大の規模であり、韓国最古の石塔が聳え立っているお寺です。2019年3月に解体工事を完了し、一般に公開されましたが、その解体作業の際に驚くべきも… 続きを見る »
1300年前の奈良の都、平城京。大陸に劣らない国づくりをせねばと、唐の長安の都づくりを参考に、他国に恥じない都を完成させました。「なんと素敵な平城京」「なんと大きな平城京」などの語呂合わせで覚えた方も多いんではないでしょうか。そう、710年に完成した都です。現在、朱雀門、大極門、第一次大極殿院が復元… 続きを見る »
1997年に世界文化遺産に登録された水原華城。その素晴らしさはお昼の部でもたくさんお話させていただきますが、ナイトツアーでは、ライトアップされた城郭や華城行宮のライトアップ、山の上からの夜景を楽しんでいただこうと思います。今年の行宮(ヘングン)のテーマは、月と花です。https://www.yout… 続きを見る »
勢力争いに巻き込まれ、米びつの中で亡くなった父に対する孝情を果たし、風水上で最上の地に父の墓を移し、民のために改革政治を行おうとした正祖。彼の理想とは何だったのか。民を思う気持ち、母の還暦の最高の宴。様々なエピソードが伺える水原華城。彼の功績から農業改革が行われ、最高の築城建築によりもしここに都が移… 続きを見る »
歴代の王と王妃の位牌を祀った宗廟は、特 別な国の祠堂であり、朝鮮王朝の基本をなしている場所です。1392 年に朝鮮を建国した太祖(テジョ)の李成桂(イ· ソンゲ)は、建国の 3 年後に、現在のソウルである漢陽(ハンヤン)に首都を移し て、最初に作ったところがこの宗廟です。厳かな建築美と共に朝 鮮時代… 続きを見る »
昌徳宮とその周辺をご紹介します。昌徳宮は、韓国国内の宮殿の中でも創建時の姿を最も良く残していると言われ、多くの建造物と韓国の伝統造園技術を極めた庭園があります。また、自然の地形を可能な限り破損せずに人為的な建築物を自然と調和させて配置していることから、1997年に世界文化遺産に登録されました。正門に… 続きを見る »